2022-02-17

怒涛の二ヶ月半

12月初旬に母が骨折して入院し、その隙に以前から気になっていた実家の物の整理に着手した。

一番気になっていたのはキッチン。冷蔵庫や収納棚、シンクの上も下も数日かけてきれいにした。すごくすごく大変だった。なぜこんなに物を溜め込むのか…私にしたら考えられなくて、最初は「これできれいにできるぅ♪スッキリするぅ♪」と嬉々としてやっていたが、途中から腹が立ってくるほどだった(笑)

やってもやってもきれいにならない気がして、毎度全然スッキリしなかった。


古くなっていた掃除機や寝具を買い替え、洗濯物が低い箇所で楽に干せるように洗濯物干しラックを買った。そのほかの箇所の放置された汚れも数日かけて掃除した。


一方、父は最初は電子レンジも使い方さえ知らず、ガス火の取扱も心配だったので、IH調理器を購入し卓上で安全にお鍋をできるようにした。しかし、材料は全て買ってきて、切って盛り付けて用意してあげないといけなかった。味にうるさいので何でもいい訳でなく、何か買ってくるにしても気に入ってくれるか苦心した。


毎日同じ道を片道45分かけたドライブは段々飽きてきて苦痛になってきた。運転は好きだったのだが…好きな音楽も助けにならなくなってきた。





そうこうしているうちに年末を迎えた。

真夜中に、たまたま枕元に置いていたiPadとiPhoneが鳴って驚いてすぐ出た。

海外駐在している弟からだった。


地方で独り暮らしをしている祖父が自宅で亡くなっていた、との連絡だった。

セコムの見守りサービスに入っていたので、ある時から家の中の生体反応が無くなっていることがわかり、セコムの人がかけつけてくれ、警察もすぐに呼んでくれたが既に息を引き取っており、病死とのことだった。


高齢ではあったので仕方がないことではあるが、元気に暮らしていたはずの祖父が急に独りで旅立ってしまったことのショックに続き、ふと考えてみると、母は入院中・父は足が悪く遠方へは動けない・弟は海外在住・祖父の妹も入院中・夫は仕事…ってことは、「これから私ひとりで全部やるってこと?!」と、震えてきた。


なんだか全てが怖くなった。


幸い祖父の姪夫婦が祖父と同県に住んでいるので、彼女たちを頼ることができ、大いに助けられた。私は急いで新幹線とホテルを予約し翌日現地に向かった。



雪で徐行したため少し遅れた



祖父が生前予約と支払いを済ませてしていたというわりと立派な葬儀場と打ち合わせをするためそこに行って待っていると、警察から祖父の亡骸が戻ってきた。その瞬間、申し訳なさと悲しさが込み上げてきて涙が止まらなくなった。


気を取りなおし、祖父が申し込んでいた葬儀プランを確認していくと、あれもこれも付いてなくて、オプションで選択し追加していかなければならなかった。「それも?」「これも?」という状態でもはや笑えてきた。

それを横で聞いていたかもしれない祖父の顔は、なんと、笑っていた。

思わず葬儀会社の人に「何か、“笑顔にするサービス”でもあるのですか?」と聞いてしまったほどの笑顔だった。先に旅立っている祖母が迎えに来てくれて、久しぶりに出会えて嬉しかったのかな?なんて思った。


コロナ禍なので、葬儀は私と姪夫婦と東京からかけつけてくれた義理の妹の4人だけで執り行なった。弟はライブ配信で葬儀に参加。すごい世の中になったものだ。


祖父は旅立つ日の午前中まで銀行に記帳に出かけていたことがわかったので、本当に急な大往生だったのだと思う。



おでこに癖のオレ


大晦日に東京に戻ってからは、祖父の家からとりあえず掴んで持ち帰ってきた書類等と格闘し、役所等の手続きを行った。これもなかなか大変であったが、東京から電話や郵便でできたことが多かったのでよかった。


年金停止手続き・健康保険証の返却・住所録のチェック・口座引き落とし先のチェックや連絡・遺言書の取扱のチェックと手配・逝去通知ハガキの作成と発送・香典返しの手配などなど…世間知らずの私はまず何をするべきか調べ、それをやっていくことはなかなか大変であったが、夫やインターネットに助けられた。


そして、うちの事情はやや特殊なのでそれに付随する手続きも多く、まだまだ続く。

司法書士や税理士に相談する必要もある。



そんな中、母が退院することになった。


退院前夜、「病棟内でコロナ患者が発生した」と母からメールが入った。

入退院の手続きが一旦停止となり、退院が延期になってしまった。

「何?このいろいろ続く感じ」ともはや笑えてきた。

幸い母は濃厚接触者でもなくPCR結果も陰性であった。


しかし、「病院側に退院を待ってほしい、入退院手続きは一旦停止、と言われた」と理解した母と、「強制した覚えはない、いつでも退院できた、そう伝えた」と言う病院側と、「入院延長分の料金請求について理由と内容の説明を求める」という私で、しばし支払い手続きは保留となった。


後日私は病院に呼び出され、病院側3人対私1人で話し合いの場を持たされた。

私は(こんなん電話でいいんだけどなー)と思っていた。


たぶん、患者家族からクレームが少なくないのだろうが、なんだか勝手に向こう側が臨戦体制のかほりを醸し出していたんですけど、結局「延長分の差額ベッド代は病院側が持つ」という方針を病院は用意していたみたいで、私は最初からそこだけ求めていたので(延長期間の食費・リハビリ代・診察代等は元々支払うつもりであった)「最初に言ってくれりゃよかったのに」と正直思ったが、まぁ結果オーライである。



母が退院してからも、掃除や洗濯以外にも買物もして持って行っていたが、ネットでできるような内容だったので、私も祖父の件でかなり忙しく、ひざも痛めていて、なんだか「私、何やってんだろう」感が出てきたので、ネットスーパーを学んでもらうことにした。ぶつぶつ言いながらも頑張ってくれているようだ。



そして先日、四十九日法要と納骨を行なった。

今度は犬は預け、夫も一緒に。

弟も帰国し1週間の自宅検疫を終えて義妹とやって来た。



新幹線に乗る前に品川駅のSarabeth'sで
Lemon Ricotta Pancakes いや〜何年ぶり



法要当日約束の10時前にお寺に着いて呼び鈴を押すと、お寺の方に「え、11時開始ですよね?」と勘違いされたり(10時の予約で正しい)、作っていただいた祖父の本位牌を持って納骨堂に行くと、既にある祖母の位牌の戒名が片方に寄って書いてあり、「え、本当は祖母の戒名の横に祖父の戒名を書かなきゃいけなかったんじゃん…」と気づく、など、ちょいちょいトラブルはあったけれど、位牌はとりあえずそのまま二つ並べることにして、法要と納骨を終えることとなった。


「帰りの新幹線の時間があるので、法要の食事と支払いを○時までに終えたいのでコースの進行を早めでよろしく」とホテルのレストランに伝えてあり、急いで進めてくださったのだが、最後に「クレジットカードの機械が壊れました」とのことで支払いに時間がかかった。笑笑

それでも駅でお土産を買う時間があったのでよかったよかった。

あとはペットホテルの閉店時間までに犬たちを迎えに行くのみだ。



怒涛の二ヶ月半。


自分が“やらなきゃいけない”こと、とはいえ、でも結局自分が“やりたくて”やっているのだ、と考え取り組んでいたものの、ずーっと他者のことに取り組んでいると、自分自身がすり減ってくることを体感した。


時間と体力が搾取され続けているような感覚になり、疲弊し、余裕も無くなり、生活の中に楽しいことなんて何も無い、と感じ、朝起きてもやるべきことが頭をもたげ、知らないことやわからないことで不安になったりしているうちに、自分が何を好きだったか、わからなくなってしまった。



自分は何が好きで、自分にとっての幸せって何だっけ?


わからない…



そんな時は「今日は何もしない!」と決めてだらだらしてもみた。

「眠っている間に宇宙に飛ばして癒してください」とお願いしたりもした。



法要から帰って来てやっと、心ここに在り状態で犬の散歩に出られているように思う。

それまでは心ここに在らず、だった感じ。



一方で、祖父の死や両親の老いと向き合ったことで、私は自分の生を強く意識した。


生きるって大変だけど、やっぱり楽しいから、それ知ってるから、私は生きたい、いっぱい生きたいぞ!と思ったのだった。




おふくろのスリッパ確保


ぬくぬく ねむねむ…