2021-07-31

前の犬と今の犬との楽しみ方の違い〜犬は本当にカフェや商業施設を楽しんでいる?

今日日、愛犬を連れて行ける施設が実に増えたと思う。

お店やレストラン、宿、商業施設などなど。


先代犬の風太と琴とは、実にたくさんの場所に一緒に出かけた。


外食、買物、旅行。

実家や友達の家。


2匹はエンジョイしていたと思う。

人間も、常に一緒にいられるのは安心で楽しめてありがたかった。



風太と琴の命が尽きて人間の私たちが失ったのは、彼らの肉体だけではなく、彼らとの生活、犬との生活、そしてそれに付随する喜びと体験だった。

もちろん過去の体験や思い出は存在し続けるけれども、もうそれらは更新されない。


あらたに犬を迎えた理由は、犬という動物が大好きだからだが、


『犬との生活とそれに付随する喜びと体験をまだ自分の人生の中で味わい続けたい、取り戻したい』


という思いもあったと思う。





私も夫も、あらたな犬たちとも当然またいろんなところに一緒に行って共に楽しむものだと考えていた。

そらとわはまだ幼いのもあり、ゆっくりと経験させていったつもりだ。



ある時、夫と犬たちと近くの渓谷に行こうと車で出かけた。


しかし道中、雨が降ってきてしまったので、予定を変更しペットが入れる商業施設に行った。そこにはペットショップがあり、私は楽しく犬用のグッズやトリーツなどをみていた。


しかし犬たちはちっとも楽しそうではない。

風太や琴は「自分たち用のものをショッピングしている」とわかっていたのでウキウキしていたものだが。

そらもとわも過敏になり落ち着きなく、体に力が入り、しまいには「抱っこして!」と吠え始めた。


「ムムム、こりゃいかん」と早々にお店を出、まだ小雨の降る中、最初に予定していた小さな渓谷へ向かった。


雨なので川までは降りていかず、手前にあるちょっとした林というか草むらみたいなところを歩くことにした。


雨やぬかるみを嫌がるかな?と危惧したが、心配無用、2匹とも嬉々として匂いを嗅ぎまくり、張り切ってがんがん歩いた。雨も泥も全く気にならないようで、もう水を得た魚状態。


私は彼らの姿を見て、この子たちにとっては人工的なところより自然の中の方がいいことと、必ずしも前の犬たちと同じスタイルで楽しめるわけではないことを実感した





それでもほとぼりが覚めて(?)またペットOK商業施設に連れて行き始めてしまった。


アニマルコミュニケーションをして「お店に入ってもいい?」と聞くと、本当に嫌々のしぶしぶで『抱っこしてくれるならいいけど…』みたいな感じだった。


その日はいつもより施設内にいる犬たちの気が立っている雰囲気で、なんとなく荒々しい空気だった。

人々はニコニコと楽しんでいるのだけれど、落ち着きなく吠えている犬たちが多い。


案の定、うちの犬たちも挙動不審になり、吠え出し、私は思い出す。

「ああ、そうだった、この子たちはこういった場所は苦手なんだわ」


犬と一緒に行ってもいいのはとてもありがたいのだけれど、犬自体たいしてありがたく思ってなくて、逆にストレスの場合があることはやっぱり否めないのだ。

人が人のペースで楽しんでばかりいて、傍の犬のようすを感じ取っていないのはちょっとマズイ。


私は、前の犬たちと同じように楽しみたい、という執着心を手放さなければなぁ、と思った。


もちろん、そらとわも成長と共に経験も増えて変化する可能性はある。


それでも、この子たちとは、この子たちのペースと好みで、ストレスのない楽しみ方を模索していこう、と決めた。


すぐウッカリ忘れちゃう私、忘れないのよ?








2021-07-30

犬へのヒーリング

ここのところ、とわは少しお腹が痛い時があるようで、うんちもやや柔らかめだった。

朝方が多いが、おぼつかなくぺたっと座り、不安げな目で見てくる。

時にはお腹を自分の目で直接見ている。


そらもそうなのだが、便が腸内を移動していよいよ直腸から肛門へ移動している時痛みを感じる日があるようで、そんな時は「わわわーっ」と焦った表情でお尻を見ようとする。痛いんだからかわいそうなんだけれど、ちょっとおもしろくて、可愛いと思ってしまう。

人間は内臓が痛いからって外からそこを見たりしないのに、犬は結構見る。

お腹とか肛門とか見て確認してどうするんだい?と思うのだが、それが本能。




それはさておき、私はヒーリングは基本的にレイキを使う。

レイキはシンボルとマントラがあることによって、ヒーリングに入りやすく、フォーカスしやすいと思う。道筋を間違わない、というのか。


自分にも時々やるが、本当に心地よい暖かさ…時には熱いくらいで、「わぁ、効いてるぅ~ 気持ちいい~」という感じ。

特にのぼせやすくなっている頭部に対しては、固まっていたものがじゅいーんと溶けるような感じで、たまらない。


場合によっては、ヒーリングをやっているうちに、独自のスタイルになることもある。


ヒーリングは自分がやっているのではなくて、自分がパイプ役になって氣を通しているだけなので、自分の意図や思いが入ってはいけない。


これが、目の前でものすごく痛がっていたり苦しんでいる我が子に対して行う時、難しくなる。

だから、自分じゃない他人に頼ったりするのだが、いつもそうはいかないので自分でやる時がある。


そういう時は、犬を抱っこして自分ごと風船のようなカプセルのようなものに入って、そのカプセルごとグラウンディングコードと宇宙と繋がるパイプにエネルギーが流れる状態を作ったりする。この方が『お任せ度』が上がる感じが自分にとってはあるからだ。


先代犬の琴が消化器型リンパ腫で痛みがにっちもさっちもおさまらない時、私はよくこの形でヒーリングをした。

手をかざす形だと、手の圧がうるさいようだったし、私もなんだか余計なエネルギーを込めてしまいそうだった。





動物はエネルギーにとても敏感だし、よくわかっていると思う。変な思い込みも持っていない。

受けたいと感じていれば受けるし、嫌なら自ら離れていく。

充分受け取ったと思えば、短い時間でも「もういいです」と言うし、

もっと受けたければ「もっとお願い」と言ってじっとしている。


私は先代犬の風太にも琴にも、今いるそらととわにもしたことがあるが、

風太は「あああ、あっつ。何?もういい」というパターンが多かった。

私もヒーリング初心者で自分の思いも入っちゃっていたと思う。


琴は重い症状の時は前述の感じで、普段軽い症状で暑がりのせいもあってか、あまり受けたがらいタイプ。自分のオーラにいろいろ入ってくることに敏感だったと思う。首を痛めたりした時は気持ちよさそうに受けていた。


そらは膝蓋骨脱臼手術後は効きを自覚してじっと受けていた。その時以外はまだあまりやる機会がない。


とわは、4匹の中で一番ヒーリングの気持ちよさをわかっていて気に入っているように感じる。

ちょっとお腹が痛い程度で一気に凹み、『なにこれぇ…』とぺたんと座ってお腹や肛門を見て、『ママ、なんとかしてぇ…』と寄ってくる。


両手でそっと患部を包むようにすると、じっとしている。私の手の甲側がジンジンして、調子がわるいことがわかる。

とわ自身が充分だと感じると、姿勢を変えたり離れていって、ピンピン元気が戻っていて、私としてはやはりほっとしてうれしく思う。




この、『もういい』と見切れるのが実にすばらしいな、といつも思う。

人間だと「え、もう終わり?もっとやって〜」って思ってしまいそう 笑


動物がエネルギーに敏感なことから、人間に対してやる時とは違って、ちょっと手の指を開き気味でエネルギーを流すことがある。その方が適度な“抜き”ができるようだ。

また、患部を触らず少し離したところからエネルギーを注いでもいい。


そして、自分に対して「あなた、ぼーっとできてますかぁ~?」と静かに問いながら行う。


油断すると「治ってほしい」というエゴや「大丈夫かな」などという疑いの念など、余計なものが混ざってしまいそうだからだ。


極力ぽや~っとして、体の力も意識も抜いて、光にお任せなのだ。






2021-07-29

とわとアニマルコミュニケーション〜人の手の味


 ソファに座って瞑想を始めようとしたら、とわが正面お座りしてフンッと鼻を鳴らし、

『瞑想するなら床に座って』


と言ったので、私は床にあぐらをかいて手のひらを上に向けて膝に置いて瞑想を始めた。


とわは、私の手の指を舐め始めた。






とわは、私や夫の手の指を舐めるのが好きだ。

座っている私たちに『手を出さんかい』と、ぐいっと自分の前足で私たちの手を引き寄せて舐めるくらい。






とわに「どうして手を舐めるのか」聞いてみた。



『おいしいから』



即答。


え、それだけ⁉️



「どうおいしいの?」


『ん~ ママも舐めてみたら?舐めてみたらわかるよ』



舐めてみた。


ほのかな塩味?と脂味?


これがおいしいのか

塩分不足じゃないよね?とか思ったりして。


指を舐めてるとそらが


『なんかおいしいもん食べてるの?』


と寄ってきた。笑



なんだ指か


ところで人間の舌には味の感じ方が場所によって違うと言われてたり、その説が否定されている説があったりするが、犬の舌はどうなんだろう?


講談社『イラストで見る犬学』によると、


甘味は下の先端と外側

塩味は下の外側

酸味は全体


のようだ。


そして、エネルギー源となる糖分、つまり甘味に反応する味蕾の数が最も多く、だからわんこは甘いものが好きらしい。

中でも『甘いアミノ酸』が一番強い刺激になるとか。


皮膚にはアミノ酸は含まれているなぁ。

脂もあるだろう。

ハンドクリームやら食べ物の匂いもついているし。


とかなんとか、犬になりきれんわ感をかみしめる私なのであった。



ウマウマなのよ うっとり









2021-07-28

とわのガウガウ犬度緩和と現在進行形の対策

そらととわは1歳になる前からドッグランに時々連れていくようにしている。

時々は自由に土の上を走ってもらいたいことと、たくさんの犬がいる状態を忘れないで慣れていてほしいことから。

(ドッグランがすごく苦手な犬はいるのでその場合は無理して行かない方がいい)


とわは散歩中に会う犬にはとても吠えるが、ドッグランでは全く吠えない。

緊張しつつもひらひらと走り回って、時々、意を決して(笑)他の犬のお尻の匂いをこそっと嗅いでいる。

他の犬と自分の思う通りに自由に距離が取れるからその点は安心なのだろう。

混んでくると「ママ、ママ」とタッチしてくる。

主に小型犬エリアにいるが、超小型犬エリアに誰もいない時はそちらに入って、そらと二匹で走り回ってもらってドッグランの印象アップに懸命になる私。



先日は珍しく午前中にドッグランに行った。

いつもより空いていて犬も人も少なめだった。


犬たちをランに放つと、今までなら

そらはぴゅーっと他のわんちゃんのところに走っていき、

とわは私のまわりをうろちょろしてとりあえず様子を見て、やがて歩き回ったり、やっぱりやめて私にタッチしたりする。



そらくん通常運転


この日は、放つと、なんととわちゃんもぴゅーっと他のわんちゃんに向かって走っていった!

すごくびっくりした。


私はうれしかった。

夫は「あっ、咬みに行くんじゃ?!」と焦っていた。

(なんでそうなる?)


とわは、走り回って、他の犬の匂いを嗅いで自由にしていた。


感無量。


空いているおかげだとは思うけれども、とわのペースでエンジョイしているのがうかがえる。今までのどの時よりリラックスできているようだ。


空いてるね♪

最近、とわはひとつ、おとなの階段を登ったんじゃないかと感じている。

(成長する時って上昇線を描くのではなくて階段をタン!と上がるように成長する気がする)


散歩で会う1匹の犬につき2回吠える、くらいで済んでいるのだ。

ギャースカ発狂系は起きていない。


時には「ふふん」と、他犬を見逃してやっている。

こないだは自らペットショップに入っていき、いた犬に吠えなかった。



ママは目頭熱いよ、もう!



とわは、自信があったり、機嫌がいいと、お馬さん歩きになる。

顔を上げて姿勢良く、タッタッタッタッとまっすぐ進む感じ。

最近、これが増えてきた。


これまでは、低い姿勢でぐいぐいぐい~っ あっちゃこっちゃ前後左右に引っ張り歩きしようとし、私の手、痛い。


そして、発狂している時には私の声など一切届かなかったのが、最近は吠えてても私の声が聞こえているようで、こっちをちらっと見るようになった。



ガウガウ犬は、もともと持ち合わせている性質として過敏傾向にあると思われるが、そもそも飼い主と信頼関係が充分に結べていない確率が高いと思う。

だから犬は安心できず自分で自分を守って吠える。


人間は『家族や仲間としての犬』のことが大好きで愛しているのは間違いないのだけれど、

『動物としての犬』に対してのふるまいや気の持ち方がマズイから犬がガウガウの反応をするのだと私は思っている。


だから、まず、人間はどうしたらいいんだ、気持ちをどう保てばいいのだ、ということを私は考え続ける。

そして、犬はどうされたら動きやすいのか、どうされたら穏やかでいやすいのか、犬の本能と意見を知る必要がある。

そしてリアルタイムで犬がどう感じているのか、どうしたいのかも感じる必要がある。この、犬を感じる余裕を持てるかは、結局人間の気の持ちよう、心の状態がとてもだいじになってくると思う。


私はドッグトレーナーではないし、そもそも巷には本当に様々な見解や取り組み方があってどれを採択するかは悩ましかったりする。


その上で、現在進行中で私が最近試みていること。


自分がやりたいことをやって心の健康を保つ

『本当はやりたいこと』を後回しにして『やらなきゃいけないこと』から取り掛かっていると、時間と体力がなくなってやりたいことができなくなるので、やりたいことからやるようにする。すると生活全体においてゴキゲンになれる。

やりたいことやっていると自分をだいじにできたと思えるし、すると、やらなきゃいけないことにも取り組んでやろうじゃないか、と思える。


前にも書いたが、

犬の気持ちに共感する(アニマルコミュニケーションを使ってもいいけど使わなくていい)

犬がこわく感じるもの、警戒するもの、嫌いなこと、が何なのか、どんなふうに感じるのか、犬なりに何を予見しているのか、目線と体の大きさを犬にして感じ取ってみる、想像して理解に努める。そして共感する。


犬と嫌なものの間に入る

「あっしがいるから大丈夫っすよ!」と声には出さないで態度で示す。

声に出すと余計興奮してしまう。私の足を犬に近づけて胸を張っとく。


リードは短く緩く持つ

人間の力がつい入ってしまうので、抜くよう意識する。肩も下げる。深呼吸する。

犬の気を引きたい時、リードは強く引っ張らなくていいらしいが、これがけっこう難しい最中。


リードから伝わってくる犬を感じる

今までは、「人間のエネルギーがリードを伝って犬にも届くから人間のマインドの状態に気をつけよ」と思っていたけれど、犬の状態を犬を見ずにリードを通しても感じるようにすると、なんか力を抜きつつも犬のエネルギーにフォーカスできる気がする。犬を目で見て見張らなくてもいいというのか。


散歩中時々アイコンタクトをする

散歩中に絶対アイコンタクトをしなくてはいけないというわけではない。


あるカウンセラーに

「ガウガウ犬の場合は止まらず前を向いて人間のペースで歩き続けた方がいい。止まって匂いを嗅がせなくても歩くだけで充分犬は刺激を受けている。犬が来たから止まると逃げたいのに止まるなんて怖っ、と吠えるに決まっている。アイコンタクトをするのはゆっくり公園に行った時などでいいのでは」

と言われ、ある時期その通り前を向いて歩き続けるようにしたら、確かに引っ張り癖は減った。すると私の心は穏やかになるので吠えも若干減った気はする。


でも、とわの場合は

「ね、今あたち、ちゃんとできたでしょ?」

とか

「ママも楽しんでる?」

と言って目を合わせてくるので、それにはちゃんと応えたいと思った。


目を合わせてきたら

「グー👍

と口で言い、手でシグナルを出している。

そして

「ママも楽しいよ♪」

とマスクの下で笑って伝える。


なんだかその方がもっと心が繋がっている感じがする。


人間の気分は極力フラットにして散歩を始める

人間の心の状態がどうか、に気を配るなんて禅の世界か?と思ったりするが、もはや近いものと思っている。

喜んだり浮かれたり、イラついたり憐れんだり、みたいなのは捨ててフラットな状態がベスト。

ダウン⤵️してたら一回鼻歌でも歌って🎶上げてから⤴️フラット➡️に。


あきらめない

これ、いろんな人から言われたんだけど

「吠える犬は、なおらないよ、変わらないよ」

という言葉は信じない。


変わりますよ。

人間が気づけば。

人間が変えれば。


あきらめなくてよかったよ、ホント。



まだ吠えるのは吠えるし、油断すると発狂へいざないが待ち受けているので、これからも『私ととわの信頼感増し増し対策』は続く。



一緒に歩もうね


なお代々木公園のドッグランに隣接してワクチン接種会場が設けられており若干物々しき。



2021-07-27

アニマルコミュニケーション〜犬がわざとおしっこをする時

5月の終わり頃の話。


とわは、自分で人間のベッドに上がったり降りたりできる。

夜になってみんなが寝支度を始めると、ひょいっと一番乗りして、掛け布団をめくったりしてふかふかなところを見つけ、枕にもたれて私が来るまで休んでいる。

(私が来ると床にある犬用ベッドに下されてしまう)


そらは、自分で上り降りできない。

人の手で乗せたり下ろしたりする。


うちは、シングルサイズのベッドを2つくっつけてキングサイズ風にしているが、掛け布団も各々シングルを使っているので要はただシングルベッドを2つくっつけただけの様相だ。


夏、夫だけ掛け布団をタオルケットに変え、ふかふかの掛け布団は足元に畳んで足乗せと化す。


すると、とわにとってのふかふかの場所が私の掛け布団だけになってなんとなく、おぼつかない感じ。


それで、夫が自分の布団を折って縦長にして、いそいそととわ用にふかふかを作ってあげていた。

「とわちゃんに、ふかふか作ってあげるねー ポフポフ これでよし」とかなんとか言って。


その間そらは床にいて、

ベッドに乗りたがったので、乗せてあげた。


そらはベッドの上をしばしふにふにと歩き回っていた。

そして、夫が作ったふかふか箇所を念入りに嗅ぎ、


ニヤッと笑った。


嫌な予感。


手でそらの下を触ると、あったかいものが…


やられたぁ!布団の上におしっこしたぁ!



そらはたまに人間のお布団におしっこすることがあったので、必ずシートでトイレを済ませたのを確認してから乗せるようにしていた。


その日も確か、確認したはずなのに。



犬が突拍子もなく普段しない場所におしっこする時は、言いたいことがある時。



さて、なんでしょう?


夫はすぐ、気づいた。

「もしかして、俺がとわのために〜ってふかふか作ってたからかな?」


そうだね。きっと面白くない気分だったんだね。




翌日、アニマルコミュニケーションをしてみた。


私「昨夜はどうして人間のベッドにちっちしたの?」


そら『ぼくの存在忘れないで、と思ってやった』

  『ぼくだって乗りたいのに』

  『とわばっかり』


  『乗りたいって言っても無視される時がある』

  『とわは乗ってる』


  『乗るのを助けて、って言ってるのに聞いてくれない

   助けて、手伝って、ってお願いしてるのに』


早く乗って、ふかふかを一緒に楽しみたかったね。

ふかふかは、とわのためだけじゃなくて、そらのため、とも言ってほしかったね。


助けて、といわれたら助けないといけないよね。

一生懸命伝えているのに、聞いてくれないのは寂しいよね。


聞いてくれないから、

気づかれないから、

もっと気づかれる方法を取るのだ。


ボク心なのだ


前、琴が何度か、強く訴えたいことがある時、普段しないところでおしっこをしたことを思い出した。


日本の家で、よそのわんちゃんと飼い主さんと別室でアニマルコミュニケーションをしていた時。

コミュニケーションを終えてリビングのドアを開けると、リビングのドアの前にしてあってびっくり。

琴は隣室を気にして気にして、「誰たちなの、何してるの、私も知りたい知りたい、見せて会わせて」と訴えていたのだ。



また、ニューヨークに住んでいた時は、私と風太だけでニューヨークからシカゴの友達の家へ遊びに行こうと話していた時、琴が「私も行きたい!」と訴えて、人間のベッドの上にした。



風太が旅立つ数日前も、「風太がそろそろ旅立つみたいだよ!」と何度もベッドにおしっこをして知らせてくれていた。




犬は、吠えたりつついたりする以外にも、普段しないところにわざとおしっこをすることで知らせたり強く訴えたり気を引こうとすることがある。

(体調不良や病気の場合もあるので要注意)



そんな時は、気がつかなくてごめん、とひたすら謝罪。

教えてくれてありがとう、と感謝。


もちろん、叱ったりしない!



タオルケットの上でも寝ますけどね





2021-07-26

アニマルコミュニケーション〜犬が人の口を舐めること

これは動物行動学的な見地ではない。 

床に寝っ転がって瞑想状態の私の口をそらが舐め続ける意味を感じ取ってみた。

 

彼はいつも寝っ転がっている私の口が開くのを待つ。

開くまでじっと、かなりの至近距離で待つ。

で、開くと舐め、閉じると鼻先をぶに、と押し付けてきて開けろと催促する。

 

私「どういう気持ちでずっと舐めているの?」

 

そら『好き好き好き好き好き...』

 

私「何を好きなの?私?口?ベロ?匂い?味?質感?」

 

そら『好き好き好き好き好き...』

 

胸に広がる、満たされた気持ち、満足感。

 



 

もちろん口の中の匂いや味や質感は好き。

 

でもなぜ舐めるかといえば、

 

好きだから。

 

じゃあなぜ好きだと舐めるのか。

 

それは犬の表現・行動。

 

舐めている時の彼から感じ取れたのは、『好きな対象に好きと表せることの満足感』だった。

 

好きなものに好き、と言えることは、そのこと自体が満たされることで、それがとても気持ちよく、気持ちいいからまた気持ちよくなりたくて繰り返される。

この辺りは脳の反応なのだろうけれど、ここで大事なのは

『好きな対象に好きと言える、表せること自体が満足感をもたらす』

ということではないか。


 


確かに自分も誰かから好きと言われるより、誰かを大好きだと思ってそれを思いっきり表現している時の方がうんと幸福感と喜びに満たされている気がする。

(好きと言われるのもかなり幸せですが)

 

そらが私の口を舐めるのは、口の中や舌の味や匂いが好き、というのもあるが、まず「その人が好き」というのが最初で、その表現として舐めていて、その味も匂いも好きで、舐めていること・好きと表現していること・味わっていること全てが気持ちよくて、また舐めたくなる、ずっと舐めたくなる、それで舐め続けている。

 

今は天国にいる琴もよく延々と私の口を舐めたものだが、どうしてそんなにずっと舐めるのか聞くと、

『ママの口は愛の出入り口なの』

と言っていたっけ。

 

愛情を表してくれる犬を受け止めながら、静かに自分の中に心を向ける瞑想。

こんな瞑想もまたよし、だった。

 


2021-07-25

とわとアニマルコミュニケーション〜ワクワクする時はどんな時?

5月の終わり頃の話。

何気なく、

「とわはどんな時、ワクワクする?」

と聞いてみた。

(なんか、自分がワクワクすることがあったのだと思う 笑)


こういう質問をする時、私は言葉だけではなく、自分の胸の中にワクワクした感じを作って、そのエネルギーを言葉に乗せて動物に送るようにしているつもりである。


すると、


青空にもくもくした真っ白の雲の映像が見えて、


『入道雲を見た時』


と理解した。



私は、「え!雲を見てるんだ!可愛い♡」「雲の形、ちゃんと見てるんだ〜!」とワクワクした。いや、犬だって空を見るんだけれども。



まぁ、“入道雲”と訳しているのはイメージを受け取った私であり、彼女が

『ふむふむ、入道雲が出ているな』

と理解しているわけではないだろう。


雲の変化は、天候の変化でもあるから、何かしら電子的なもの?を感じて“ワクワク”という反応をしているのかも知れない、と私は考えた。



“ワクワク”って、人間は楽しいことや好きなことを考えてワクワクするけれども、もっと微細なエネルギーで考えると、空で入道雲ができる時の状態がとわの心身にワクワクするような感覚を起こさせているのではないかと思い、入道雲が起きている時の状況を調べた。視覚的な感覚だけではないように感じたからだ。



入道雲とは、積乱雲の一種で、

気象庁のサイトによると、積乱雲は「大気の状態が不安定」な時発生する。「大気の状態が不安定」とは、上空に冷たい空気、地上には温められた湿った空気の層がある状態をいう。温かい空気は上昇し、冷たい空気は下降しようとするので対流が起き、積乱雲が発生しやすいらしい。


つまり、積乱雲は大気にダイナミックな動きがある時に起きている。

その大気の変化を感じとって、とわはそわそわしているのではないだろうか。

それが、とわの“ワクワク”した感じ、ということなのかも知れない。







以前アメリカで、“気球を怖がる犬”とアニマルコミュニケーションを話したことがあるが、気球が物理的に大きいとか変な音がするから、という理由ではなく、気球が与える空気の振動を感じてそれを恐れているということだった。



また雷を怖がる犬が実際いつからどのように感じているのか聞くと、かなり遠くに巨大なグレーの壁状の岩のようなものが迫ってくるイメージを伝えてきた。それが迫ってくるとやがて雷が起きるんだ、と。



人間が感知しないものを犬がしていても不思議ではない。

とわは、入道雲から何かしら感じ取っていたのだ。



今回のとわとのアニマルコミュニケーションで、私が気軽に使った“ワクワク”という言葉の幅の広さをとわに教えてもらったと思う。


「ワクワクする」


この一言には、「楽しみ〜」「好き〜」「うれしい!」という感覚と、

それに伴って、ちょっとそわそわするような、ポジティブな意味で落ち着かないような感覚も含んでいると思う。


だから、ワクワクという言葉が表現する感覚を質問に使う場合は、返ってくる答えに注意し、意味や感覚に幅を持たせる必要がある。


送った質問のエネルギーにも、返ってきた答えにも、微細なそわそわ、ウキウキ、ざわざわ、みたいな感覚が混じっている可能性があるからだ。


勉強になりまっす。





その他の『とわがワクワクすること』とは、


『そらとふたりで草の上走る時』


二匹と私たちだけで完全に安心してのびのび思いっきり草の上で走れることがすごく楽しくて気持ちよくてワクワクする。いかに速く走れるか、そらと追いつ追われつできるか、草や土の匂い、ひんやりとした感触。それらが自分の全ての感覚を目覚めさせるようなワクワク感。






『地面をスリスリする時』


そこでする匂い。自分にはない好きな匂い、それを得られる、もっと得られる!という期待感。スリスリするたび欲が満たされ、スリスリしながら欲が更新し、増幅し、付着する匂いもどんどん増える。その期待と獲得が同時進行で起きている感じのワクワク感。






そういった感じだった。いやぁ、豊かだね〜♡





2021-07-24

共感作戦〜犬が嫌なことに共感してあげる

これは、先日の話の続きで翌日のこと。今からひと月半くらい前、6月初めの頃の話である。


毎日の犬の散歩は大変。

特に、強く引っ張ったり他の犬に吠えたりする子との散歩は。


先日、一度落ちた私の気を取り直し、


犬の散歩は必ずしも行かなくてもよいのだ。

雨の日や体調がわるい日は行かないのだから。

家の中でおトイレできるようにしつけたのだから。


そう思って朝からなんだか気楽になって、余裕があったら行こう〜っと♪くらいに思えた。



夕方になり、とわから、1匹で行くことにした。


とわが散歩中に感じるあらゆるストレスからできるだけ開放してあげたい。


まず、ハーネスにつけている鑑札札がカチャカチャ言うので、外すことにした。

犬は耳がいい上、お散歩中あらゆる音を聞き取りたいだろう。

特にとわはお耳がすこぶる大きい(絶対パピヨン混ざってる)。

大きいからより敏感なのかも知れないし。

あらゆる外敵の音を聞き取って危険を回避しなきゃいけない、と思っているところ、首の後ろでカチャカチャカチャカチャ…うるさいなー、邪魔だなー、となるだろう。


そういえば、以前、琴にも「かちゃかちゃうるさいわ」と言われた気がする。

その時はお守りの鈴だった気がするが。


風太と琴には付けてなかったのに、今回は生真面目に(ほんとは義務だし)鑑札をぶら下げていたが、音が出ないように工夫しようと思う。



そして、散歩でとわが


「怖い、嫌い、危ない、避けたい、嫌」


と思うすべてのことに共感してみよう、と決めた。



子供が走ってきて「ウー」となったら「走る子供、こわいよね」

後ろからカツカツ靴の音を立てて迫ってくる人、「後ろから近づいてきて、こわいよね」

チワワが見えたら「こわいよね、こっち来ないでほしいよね」

見てくる人がいたら「こわいよね、見ないでほしいよね」

大きな看板、「こわいよね、びっくりするよね」

謎の草が足に触ってびくっ「謎の草が触って、びっくりだよね」


もう、ありとあらゆる「びくっ」「ぎろっ」「ウー」「ワワワン!」に「だよねだよね嫌だよね」と共感してみた。口だけじゃなくて、私も嫌だわ、という心で。

なんというか…もちろん私が一緒になっておびえてひるむのはよくない。ただ、ちゃんと心からその感じを想像してあげる、というのかな。


だって、私の体の5倍くらい大きい人がズカズカ近づいてきたり走ってきたら「おわっ」と思うし、知らない人が目を覗き込んできたら「な、なにっ?!」って警戒するし、そもそもふだんから音に敏感で救急車や消防車の音が直接耳に入ってこないようにかばうし、テレビの音もしんどくて消すこともある。自分だってけっこう敏感なのだ。


そう思うと、自然ととわの嫌なことに共感できて、それを彼女に伝えることができることができた。


すると、とわはこちらの目をみて

「お?」「でしょ」「わかってくれた?」「たのしいね!」

となっていった。

私は穏やかな気持ちで散歩ができた。


穏やかな気持ちはとわにも伝わるのでとわの気持ちや行動にもいい影響となり、すると私はますます落ち着いて気軽になり、好循環が始まる。






アニマルコミュニケーションの落とし穴は、会話やリーディングをして「どんな風に感じているか」「どう思っているか」「どう見えるか」「何が嫌いでこわいか」などがわかって、そこで終えてしまうことかな、と思う。


せっかく知ったのに、「吠えます、避けます、反抗します」という時に、結局人間の都合で「うるさいから吠えないで」「ひっぱらないで」「他の犬と仲良くできたらいいのに」などと言ってしまう。


これでは、”わかった”かも知れないけど、”寄り添って”ない。


私は動物の心に寄り添うアニマルコミュニケーションがしたいんだった。

心から共感する練習?機会?をとわは与えてくれている。


しばらくこのお散歩共感作戦を遂行してみようと思う。