(前置き)
とわちゃんは、すこぶる可愛いけれど、いわゆるガウガウ犬である。
外で会う犬に、人間の赤ちゃんに、ふらりと歩く人に、誰かの大きな荷物に、
ガウガウ、ギャンスカ、時には声帯キレるで?!というくらいのブチギレをかます。
こういうタイプは私の犬史上初めてだったので、正直手を焼いている。
私も段々と心得てはきて、うまくいなせる日もあれば、全くいなせなくてくぉ〜〜〜っとなる日もある。
まだ2歳で性格も動きも異なるそらととわのお散歩は、別々に行った方が楽。
しかしそれだと2回連続で散歩に出ることになるので、更年期のお年頃でもある私の気合と体力が不足している時は、つい2匹まとめて行ってしまう。
そんな時、他の犬と遭遇してアハアハ♪ハピネスなそらと、ブチギレ💢ギャングなとわ、で収拾がつかなくなり、私は疲労し、へこむのである。
このコミュニケーションの前日の夕方のお散歩で、とわは暴れ、私の気分は落ちた。
(前置き終わり)
これは、今年の5月の終わり頃の話。
私は瞑想らしきものをしていて、なんだか涙が出てきて泣いていた。
(全然無になれてない 笑)
その後、とわに聞きたいことがあったので、アニマルコミュニケーションをした。
とわ「ママ、さっきはなんで泣いたの?」
いきなり向こうから質問が来た。
私「ママが子供の頃、ママの親が喧嘩したり、怖かったり、大変そうで、ママはいつも『やめて、助けて、守って、楽しくして、優しくして』って思ってたんだけど、そうならなくて、安心できなくて、頑張ってたなぁ、助けて守ってほしかったなぁ、と思ったらなんだか涙が出てきたんだよ。今はとわやそらやおやぢが助けてくれるし、自分でも自分を助けられるから大丈夫、ありがとね」
私「ところで昨日は、夕方の散歩で嫌になっちゃってごめんね。2匹で行くと大変になってそういう気持ちになっちゃうから、やっぱり別々に行くね。週末はみんなで行こうね。とわは『自分のことは自分で守る』と言うけど、外では私を信頼できないのかな?私、どんな時もとわを守るけど?」
とわ「だって、ママは『大変』と言うじゃない。大変な人に『守って、助けて』って言えないよ」
がーん… 確かに…
な、何も言えない…
私はしばらく固まった。
言われてみれば私はずっと、「2匹の犬育て大変」「とわがガウガウして大変」「2匹の散歩大変」「2匹の歯磨き大変」などと言っていた。
言うことを聞いてくれないとイライラして怒っていた。
(更年期症状でもあるだろうけど)
なんだか…自分と自分の親との関係に似ている?
すぐ怒る親、辛そうに大変そうにしている親に対して私は
「助けて」「信頼してるよ」
なんて、思えなかった。
とわが、常に「大変、大変」と言っている私を頼れなくて当然ではないか。
動物的には身の危険の可能性がある外で、一番自分を守りたいシチュエーションで、“いつも大変そうな人”に自分を守ってもらおう、なんて思えないだろう。
私はとても目が覚めて、あんまり大変、って言わないようにしようと思った。
でも自分に嘘をついて無理するのは違うと思うので、根本からあまりそう感じないような生活を送れるよう工夫した方がいい。
そのためには余裕を持つことが必要だ。
余裕があって大変じゃなくてやっと、他者を守れるし、信頼を得られる。
体力的にきつくて大変になってしまうのだから、体力をうまくカバーしたり養ったり、時には堂々と休んで、余裕を持ってできるよう自分なりのペースを掴んでいけばいい。
一方で、「大変」とは「大きな変化」という意味とも取れるらしい。
大きな変化が来ているのだから、大変で当たり前なのだ、と。
賢く思慮深く落ち着きがあり意思疎通がしやすい老犬と共に暮らしていた私とって、2匹のチャキチャキの子犬を迎え、うち1匹がガウガウ犬なのは大きな変化だし、更年期だって大きなホルモンの変化だ。
「こりゃ大きな変化だー」と感じる自分を許してあげないとアップアップしてしまう。
で、
「大変で当たり前だよね、なるべく大変に感じないよう、工夫してさぼろう」
という結論に至った。