これは、先日の話の続きで翌日のこと。今からひと月半くらい前、6月初めの頃の話である。
毎日の犬の散歩は大変。
特に、強く引っ張ったり他の犬に吠えたりする子との散歩は。
先日、一度落ちた私の気を取り直し、
犬の散歩は必ずしも行かなくてもよいのだ。
雨の日や体調がわるい日は行かないのだから。
家の中でおトイレできるようにしつけたのだから。
そう思って朝からなんだか気楽になって、余裕があったら行こう〜っと♪くらいに思えた。
夕方になり、とわから、1匹で行くことにした。
とわが散歩中に感じるあらゆるストレスからできるだけ開放してあげたい。
まず、ハーネスにつけている鑑札札がカチャカチャ言うので、外すことにした。
犬は耳がいい上、お散歩中あらゆる音を聞き取りたいだろう。
特にとわはお耳がすこぶる大きい(絶対パピヨン混ざってる)。
大きいからより敏感なのかも知れないし。
あらゆる外敵の音を聞き取って危険を回避しなきゃいけない、と思っているところ、首の後ろでカチャカチャカチャカチャ…うるさいなー、邪魔だなー、となるだろう。
そういえば、以前、琴にも「かちゃかちゃうるさいわ」と言われた気がする。
その時はお守りの鈴だった気がするが。
風太と琴には付けてなかったのに、今回は生真面目に(ほんとは義務だし)鑑札をぶら下げていたが、音が出ないように工夫しようと思う。
そして、散歩でとわが
「怖い、嫌い、危ない、避けたい、嫌」
と思うすべてのことに共感してみよう、と決めた。
子供が走ってきて「ウー」となったら「走る子供、こわいよね」
後ろからカツカツ靴の音を立てて迫ってくる人、「後ろから近づいてきて、こわいよね」
チワワが見えたら「こわいよね、こっち来ないでほしいよね」
見てくる人がいたら「こわいよね、見ないでほしいよね」
大きな看板、「こわいよね、びっくりするよね」
謎の草が足に触ってびくっ「謎の草が触って、びっくりだよね」
もう、ありとあらゆる「びくっ」「ぎろっ」「ウー」「ワワワン!」に「だよねだよね嫌だよね」と共感してみた。口だけじゃなくて、私も嫌だわ、という心で。
なんというか…もちろん私が一緒になっておびえてひるむのはよくない。ただ、ちゃんと心からその感じを想像してあげる、というのかな。
だって、私の体の5倍くらい大きい人がズカズカ近づいてきたり走ってきたら「おわっ」と思うし、知らない人が目を覗き込んできたら「な、なにっ?!」って警戒するし、そもそもふだんから音に敏感で救急車や消防車の音が直接耳に入ってこないようにかばうし、テレビの音もしんどくて消すこともある。自分だってけっこう敏感なのだ。
そう思うと、自然ととわの嫌なことに共感できて、それを彼女に伝えることができることができた。
すると、とわはこちらの目をみて
「お?」「でしょ」「わかってくれた?」「たのしいね!」
となっていった。
私は穏やかな気持ちで散歩ができた。
穏やかな気持ちはとわにも伝わるのでとわの気持ちや行動にもいい影響となり、すると私はますます落ち着いて気軽になり、好循環が始まる。
アニマルコミュニケーションの落とし穴は、会話やリーディングをして「どんな風に感じているか」「どう思っているか」「どう見えるか」「何が嫌いでこわいか」などがわかって、そこで終えてしまうことかな、と思う。
せっかく知ったのに、「吠えます、避けます、反抗します」という時に、結局人間の都合で「うるさいから吠えないで」「ひっぱらないで」「他の犬と仲良くできたらいいのに」などと言ってしまう。
これでは、”わかった”かも知れないけど、”寄り添って”ない。
私は動物の心に寄り添うアニマルコミュニケーションがしたいんだった。
心から共感する練習?機会?をとわは与えてくれている。
しばらくこのお散歩共感作戦を遂行してみようと思う。