今日日、愛犬を連れて行ける施設が実に増えたと思う。
お店やレストラン、宿、商業施設などなど。
先代犬の風太と琴とは、実にたくさんの場所に一緒に出かけた。
外食、買物、旅行。
実家や友達の家。
2匹はエンジョイしていたと思う。
人間も、常に一緒にいられるのは安心で楽しめてありがたかった。
風太と琴の命が尽きて人間の私たちが失ったのは、彼らの肉体だけではなく、彼らとの生活、犬との生活、そしてそれに付随する喜びと体験だった。
もちろん過去の体験や思い出は存在し続けるけれども、もうそれらは更新されない。
あらたに犬を迎えた理由は、犬という動物が大好きだからだが、
『犬との生活とそれに付随する喜びと体験をまだ自分の人生の中で味わい続けたい、取り戻したい』
という思いもあったと思う。
私も夫も、あらたな犬たちとも当然またいろんなところに一緒に行って共に楽しむものだと考えていた。
そらとわはまだ幼いのもあり、ゆっくりと経験させていったつもりだ。
ある時、夫と犬たちと近くの渓谷に行こうと車で出かけた。
しかし道中、雨が降ってきてしまったので、予定を変更しペットが入れる商業施設に行った。そこにはペットショップがあり、私は楽しく犬用のグッズやトリーツなどをみていた。
しかし犬たちはちっとも楽しそうではない。
風太や琴は「自分たち用のものをショッピングしている」とわかっていたのでウキウキしていたものだが。
そらもとわも過敏になり落ち着きなく、体に力が入り、しまいには「抱っこして!」と吠え始めた。
「ムムム、こりゃいかん」と早々にお店を出、まだ小雨の降る中、最初に予定していた小さな渓谷へ向かった。
雨なので川までは降りていかず、手前にあるちょっとした林というか草むらみたいなところを歩くことにした。
雨やぬかるみを嫌がるかな?と危惧したが、心配無用、2匹とも嬉々として匂いを嗅ぎまくり、張り切ってがんがん歩いた。雨も泥も全く気にならないようで、もう水を得た魚状態。
私は彼らの姿を見て、この子たちにとっては人工的なところより自然の中の方がいいことと、必ずしも前の犬たちと同じスタイルで楽しめるわけではないことを実感した。
それでもほとぼりが覚めて(?)またペットOK商業施設に連れて行き始めてしまった。
アニマルコミュニケーションをして「お店に入ってもいい?」と聞くと、本当に嫌々のしぶしぶで『抱っこしてくれるならいいけど…』みたいな感じだった。
その日はいつもより施設内にいる犬たちの気が立っている雰囲気で、なんとなく荒々しい空気だった。
人々はニコニコと楽しんでいるのだけれど、落ち着きなく吠えている犬たちが多い。
案の定、うちの犬たちも挙動不審になり、吠え出し、私は思い出す。
「ああ、そうだった、この子たちはこういった場所は苦手なんだわ」
犬と一緒に行ってもいいのはとてもありがたいのだけれど、犬自体たいしてありがたく思ってなくて、逆にストレスの場合があることはやっぱり否めないのだ。
人が人のペースで楽しんでばかりいて、傍の犬のようすを感じ取っていないのはちょっとマズイ。
私は、前の犬たちと同じように楽しみたい、という執着心を手放さなければなぁ、と思った。
もちろん、そらとわも成長と共に経験も増えて変化する可能性はある。
それでも、この子たちとは、この子たちのペースと好みで、ストレスのない楽しみ方を模索していこう、と決めた。
すぐウッカリ忘れちゃう私、忘れないのよ?