これは動物行動学的な見地ではない。
床に寝っ転がって瞑想状態の私の口をそらが舐め続ける意味を感じ取ってみた。
彼はいつも寝っ転がっている私の口が開くのを待つ。
開くまでじっと、かなりの至近距離で待つ。
で、開くと舐め、閉じると鼻先をぶに、と押し付けてきて開けろと催促する。
私「どういう気持ちでずっと舐めているの?」
そら『好き好き好き好き好き...』
私「何を好きなの?私?口?ベロ?匂い?味?質感?」
そら『好き好き好き好き好き...』
胸に広がる、満たされた気持ち、満足感。
もちろん口の中の匂いや味や質感は好き。
でもなぜ舐めるかといえば、
好きだから。
じゃあなぜ好きだと舐めるのか。
それは犬の表現・行動。
舐めている時の彼から感じ取れたのは、『好きな対象に好きと表せることの満足感』だった。
好きなものに好き、と言えることは、そのこと自体が満たされることで、それがとても気持ちよく、気持ちいいからまた気持ちよくなりたくて繰り返される。
この辺りは脳の反応なのだろうけれど、ここで大事なのは
『好きな対象に好きと言える、表せること自体が満足感をもたらす』
ということではないか。
確かに自分も誰かから好きと言われるより、誰かを大好きだと思ってそれを思いっきり表現している時の方がうんと幸福感と喜びに満たされている気がする。
(好きと言われるのもかなり幸せですが)
そらが私の口を舐めるのは、口の中や舌の味や匂いが好き、というのもあるが、まず「その人が好き」というのが最初で、その表現として舐めていて、その味も匂いも好きで、舐めていること・好きと表現していること・味わっていること全てが気持ちよくて、また舐めたくなる、ずっと舐めたくなる、それで舐め続けている。
今は天国にいる琴もよく延々と私の口を舐めたものだが、どうしてそんなにずっと舐めるのか聞くと、
『ママの口は愛の出入り口なの』
と言っていたっけ。
愛情を表してくれる犬を受け止めながら、静かに自分の中に心を向ける瞑想。
こんな瞑想もまたよし、だった。